高落場山(富山県)

紅葉を探して南砺市の高落場山へ。
五箇山トンネルの手前から左に折れ高清水林道を進むと登山口である若杉集落跡の石碑があります。昭和41年に最後の5戸が離村し歴史が途絶えたようですが、その昔は五箇山と砺波平野を結ぶ交通の要所だったらしいです。

高落場山に限らず山登りのために地図を眺めていると、今では道も通らないような場所に昔はいくつもの集落があったことがわかります。当然クルマは無いので町まで何時間、時には数日かけて歩いて行くこともあったでしょうし、冬は完全に閉ざされてしまう集落もあったと思います。

今の感覚で考えると何故そんな不便なところに住んでいたのかと疑問に思いますが、
「城端町 若杉集落を偲んで」という郷土史について書かれているこちらのブログ(イソップ通信)によると、

・山村には、年間を通じて尤も大事な薪が充分にあったから。
・山村には、毎日雨が降っても濁らないきれいな清水があったから。
・山村には、食べられる山菜が充分にあったから。
・山村には、里のように台風の被害がなかったから。
・山村には、食べられる野鳥や動物が多くいたから。
・山村には、昔は年貢や戦争がなかったから。
・山村には、屋根の材料になる茅やススキが充分にあったから。

という理由であったと書かれています。
すごく納得しました。
また、今は無き集落を取材しているブログなどをみると、昭和40年前後に廃村になったところが多い気がします。その頃になると現代の都市基盤ができつつあり、山に「薪」や「水」を求めなくてもよくなったということでしょうか。また、都市生活を維持するための治水、発電のためダム湖に沈んだ集落が多いのもこの時期です。

若杉集落跡の石碑

若杉集落跡の石碑

この若杉集落跡から石畳の続く旧五箇山街道を登り始めます。この石畳はとても滑りやすいので注意が必要ですが、湿り気があるので苔がたくさん育っています。特にホウオウゴケが立派でした。
苔観察しながら30分くらいで唐木峠に出ます。ここで高落場山方面と人喰谷から朴峠方面への分岐があります。人喰谷方面は通行不可となっていましたが、どんな谷なのか気になるところです。
高落場山に進むと急登が始まります。どんどん登るとブナが多くなってきて、視界がひらける場所がありました。そこからは砺波平野の散居村が一望できるのでちょうどいい休憩場所です。そこからさらに30分ほどで高落場山山頂到着。山頂からは白山や立山が見えるらしいのですが、すこし曇り気味で見えず残念。手前の金剛堂山が大きな山容を横たえていました。

五箇山街道には石畳が残ります。

五箇山街道には石畳が残ります。

唐木峠

唐木峠

人喰谷へは行けません。(その昔、五箇山と城端を行き来していた歩荷が雪崩に飲み込まれ、春になっても遺体が見つからなかったことから谷が喰ってしまったということらしいです。)

人喰谷へは行けません。(その昔、五箇山と城端を行き来していた歩荷が雪崩に飲み込まれ、春になっても遺体が見つからなかったことから谷が喰ってしまったということらしいです。)

南砺市の散居村、左手には石川県境の医王山

南砺市の散居村、左手には石川県境の医王山

ブナ林の紅葉

ブナ林の紅葉

高落場山山頂

高落場山山頂

山頂からの展望。金剛堂山がよく見えます。

山頂からの展望。金剛堂山がよく見えます。

お昼には早いのでブナ原生林の尾根を歩いて草沼山へ。
この道はブナの紅葉が本当に綺麗で時折日が差すと黄色い葉っぱがキラキラ輝いていました。また、ところどころに変わった形のブナがあり、それぞれに「兜ブナ」、「兎ブナ」、「象ブナ」など名前がついていて楽しめました。

変わった形のブナにはそれぞれ名前がついています。

変わった形のブナにはそれぞれ名前がついています。

草沼山山頂

草沼山山頂

草沼山から林道に下りて縄ヶ池を目指します。
林道途中にはハングライダーやパラグライダーの滑空場所があり、その時も数台のハングライダーがメンテナンスを行っていました。

散居村とハングライダー

散居村とハングライダー

縄ヶ池でボランティアガイドのおじさん3人衆いわく、この日はすでに30人くらい訪れたとのこと。ちょうど着いたのがお昼頃だったので、お湯を沸かしカップラーメンを食べながら楽しそうに話していました。その中のお一人が干し柿を作っているらしく、大きな干し柿をいただき食べつつ、池の畔に向かい僕たちもカップラーメンすすり、林道をひたすら歩き、途中の夫婦滝(2つの流れが、夜には1つになるそうです。)で庭論を語り、ようやくスタート地点の若杉集落跡に戻ってきました。

縄ヶ池

縄ヶ池

夫婦滝

夫婦滝

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